ああ!
ああああああああ!!!
終わってしまいました。
進撃の巨人、アニメ。
諫山先生、そして、WIT STUDIO、MAPPA、進撃の巨人のアニメ制作に心臓を捧げた、全ての方に、(もちろんコミックスを世に出すために心臓を捧げた方にも)
ありがとうを伝えたい。
ほんとに、素晴らしい作品でした。
もし、見たことがないなら、
ぜっっったい見たほうがいいです!!!
もう、アニメとヨガのカテゴリー作ろうかな。
漫画やアニメは、今や本当に、子どもだけものではないし、
時に、生き方を変えるくらいの力があります。
中でも、進撃の巨人は私にとって、前に進めなくなりそうな時、前に進む勇気をくれた、
過去だけでなく、現在も、
読むたび、見るたびに、勇気をくれる作品です。
私と進撃の巨人との出会いは、10年以上前、
離婚の失意の中、娘を連れて大阪に帰り、
近くにあるスーパー銭湯の岩盤浴が、私の癒やしで、
そこの休憩室で、でした。
休憩室に並ぶ雑誌や、たくさんの漫画の゙中、
そこに異様な空気を放って本棚に鎮座する、進撃の巨人。
すでに話題にはなっていて、「あー、これが噂の進撃の巨人かあ」と、手に取ったが最後。
なんにこれ!!
面白すぎる!!!
たまの平日の休みに、開店と同時に岩盤浴に行き、汗とストレスを流しまくったあと、
若干汗臭い(もしかしたら、けっこう汗臭い)体のまま、
体の熱が冷めるまで、
冷めきってもなお、時間の許す限り、進撃の巨人を読んでから、
仕上げに温泉に入って(時に、岩盤浴の後、さらにドライサウナに入ったりもし)、
最後にビタミンジュースを飲む、というのが、私の充電方法でした。(ちなみに今も私の充電方法は、サウナとお風呂屋さんです)
当時、エヴァンゲリオン以来の衝撃で、進撃の巨人という作品との出会いに興奮したのを覚えています。
その岩盤浴には、確か調査兵団が海を見るまでがあって、
そこまで読んで、私の人生もマーレ編に移ったわけではないけど、
離婚で負った傷跡が再生し始め、(マーレ編はむしろ傷が深まる感ありますが)
淡路島へと、引っ越して来ました。
衝撃を受けたものの、コミックスを買うわけではなく、月日は流れ、
以前も書いたように、コロナ禍がやってきました。
鬼滅の刃から始まったアニメ視聴、もちろん、進撃の巨人も見始めました。
海まで見た、というのは覚えているけれど、確か誰かが裏切者で、はて?誰やったかな?ぐらいに、
私の記憶は薄れていたので、
そりゃあもう、アニメ、めちゃくちゃ堪能しました。
団長の腕が食いちぎられるシーンなんて、
だんちょーーーーーー!!!
って、叫んでました。
何回も何回も、泣きました。
で、以外だったのが、娘がすごく進撃の巨人にはまって。
彼女の誕生日だったか、クリスマスのプレゼントに、
コミックス全巻揃えました。
やっぱり原作はすごい。
原作を読んでから、アニメを見るのも、すごく楽しい。
母、娘で進撃の巨人にはまり、もうかれこれ、1年?2年くらい経つでしょうか。
二人でよく、進撃の巨人について語り合います。
そこで、度々話題になるのが、
どの兵団に入りたいか。
これ、進撃の巨人が好きな人は、きっと考えることだと思います。
厳しい訓練に耐えて、
3重の壁の1番内側、1番安全な場所で、お上の言う事に逆らわず、
美味しい汁を吸いながら生きていける”憲兵団”か、
壁には守られつつ、お上からはちょっと自由で、
自分たちが飲んだくれてるくらいの方が平和なんだって、
ぬるく生きる”駐屯兵団”か、
壁の外に飛び出し、自由を求める
死と隣り合わせの
“調査兵団”か。
私、高校でて、3年くらいOLしてたのですが、
その時、毎日満員電車に揺られて、自分が水槽の中の魚みたいだなって思ってて。
泳いでも、泳いでも、自分は水槽の中で、
まわりも死んだ目の魚みたいだって思ってて。
本来、魚は海に生きるはずなのに、どういうわけか水槽の中で、
適切な温度に保たれて、
適切に餌を与えられて、
目的もなく、日々消化試合みたいに、
水槽の中を泳いでるみたいって思ってて。
水槽から出たいな、
大きな海を泳いでみたいって思いが強くなりすぎて、
インドに行ったんです。
だから、進撃の巨人の”壁”って表現を見た時、
あ、水槽だって思って、
私なら、迷わず調査兵団に入るって娘に言いました。
そしたら、娘は驚いて、
「え?死ぬで」って。
「104期にはなれないのやで」って。
「モブの一人として、すぐ死ぬで」って。
「そんなん憲兵団に決まってるやんか。
壁の中、安全にぬくぬく暮せばいい。
それの何がいけないのか」と。
「まあ私は上位10名には入られへんやろうけど」と。
そりゃそうです。
初期のジャンを否定できない。
でも私は、超大型と、鎧の巨人が襲ってこなかったとしても、
モブの一人だとしても、
目の前に壁があって、
壁の外には、自分を変える何かが、
希望があるなら、
その壁を、
突き破りたいって思う。
井戸の中の蛙は嫌だ。
されど空の青を深く知る?
井戸の外からだって、空を眺めてみたい。
なんて話を娘とできたりする、進撃の巨人。
ほんとに、どれだけでも記事が書けそうなくらい、様々に深い意味や、問いかけが感じられる作品です。
世界的にも有名で、娘曰く、フランスの本屋さんにも、進撃の巨人コーナーがあったそうな(ちなみにワンピースとNARUTOも)。
全世界の人が、この作品を読んだり、見たら、
世界から戦争なんてなくなるのでは?なんてことも話しますが、
諫山先生が描いたエンディングのように、
なぜか、人は、争いをやめない。
この、進撃の巨人ファイナルシーズンの放送真っ只中で、
未だウクライナとロシアが、
パレスチナとイスラエルが、
本当に血を流していることが、
それを横目に、
それと同時に、
進撃の巨人を楽しんでいる、自分を含むたくさんの人達の存在があることが、
滑稽にも感じられるし、
救いにも感じられる。
娘は、カルラのように生きるのが1番だと言いました。
街のレストランで働いて、恋をし、結婚して、子どもを生む。
(それは決して、結婚をして、子どもを産むということだけが幸せ、という意味でなく、
世界がどうであろうと、目の前の幸せを大切にする、という意味で)
特別じゃなくてもいい、
人から認められなくてもいい、
偉大でなくても、
人より優れなくても、
この子はこんなにかわいい。
この世界に生まれてきてくれた、
だからこの子はもう偉い。
って言って子どもを育て、
巨人に襲われたら、
子どもに生きるように伝えて、死ぬ。
そして、そんなカルラのように生きるのが1番という娘は、
アルミンと、リヴァイ兵長が好きで、
名言を習字で書く、という学校の課題で、
悔いが残らない方を自分で選べ
というリヴァイ兵長の言葉を選んでいました。
私が選ぶなら、(本編でないけれど)絶対にこれ。
私の支えとなっている、憧れのエルヴィン団長の言葉。
よせ、後悔はするな。
後悔の記憶は次の決断を鈍らせる。
そして、決断を他人に委ねようとするだろう。
そうすればあとは死ぬだけだ。
結果など誰にも分からない。
1つの決断は次の決断の材料にして初めて意味を持つ。
壁外調査を続ける、
お前も来るのだ、リヴァイ。
どぅっわああああああ!
もうね、ぐさっぐさっぐさっ
刺さりすぎて、かっこよすぎて、血まみれです。
自分の道を、
心臓を捧げるように生きて、
前進したい。
自分には自由の翼があることを忘れない。
そんなふうに思わせてくれる、進撃の巨人、
感謝です。