淡路島への移住、最後の一歩

2月、勇気を振り絞って、淡路島へ自分で車を運転して行ったのはいいけれど。

冬の淡路島はとても寂しかった。

曇り空の下、くすんだ海の色。

枯れた草木。

誰もいない海岸、何もない街。

ここで娘と二人、家族も友達もいない、本当に二人っきり、楽しく暮らしていけるだろうか。

私、シングルマザーだけど、仕事は見つかるの?

学校が遠かったらどうするの?

娘がいじめられたら?

変な人に目をつけられない?

だいたいからして、私、サロンとかできるの?

もうじゃあ、サロンなんてやめればいいやんっていうくらい、次から次へと不安がでてきて。

車で淡路島へ行けたことは、大きな達成だったんだけど、移住が、現実味をおびると、びびってしまって。

あそこで、娘と二人で暮らすイメージができない、なんて思い始めてた。

娘の面倒をみながら、起業なんて、できないかもしれない。

シングルマザーが移住して起業なんて、無理があるかもしれない。

やっぱり私、何もできないかもしれない。

今年の異常な冬の寒さも手伝って、自信を失いはじめた2月半ば。

弱った心の、できない理由探し。

そんな時こそ、私はアーサナ(ヨガのポーズ全般のこと)と瞑想をする。

ウダウダ考え込むココロとカラダをひきずって、アーサナと瞑想。

で、どうするの?

アーサナと瞑想。

ここ大阪で、ああ、自然あるとこでサロンしたかったなあって後悔しながら死んでいくの?

アーサナと瞑想。

いや、それは嫌だ。それは違う。

アーサナと瞑想。

とりあえず、淡路島の移住相談窓口に電話して、どんな感じか聞いてみようよ。

、、、、、って、全然瞑想できてないやん!

で、なかなか電話できない私。

たかが電話するだけなのにね。なんで、できないのだろう。

けど、こういうの、私だけじゃないと思う。

だから、あんなに、「今でしょ」って流行ったのだと思う。

”今”するには勇気がいります。

何日か電話できなかったけど、私が大阪で最後、お世話になったタイ古式リラクゼーションサロン、堺のGoroGoroさんを卒業する時、あるお客様から餞別に、とっても美しいお箸を二膳、娘の分とともに、食いっぱぐれがないようにって頂いて、

このお箸を絶対私、移住して使うんだって思ったら、電話できました。

そしたら、すぐ面談することになって、もう一度淡路島へ行きました。

それが、2月の終わり。

面談は田園風景が目の前に広がる、素敵な農家カフェ。

ホームページでは、淡路島での田舎暮らしは、相当覚悟してって書いている感じがして、敷居が高かったけど、実際会って話してみると、ああ、敷居の高さは愛なんだなあと思いました。

とりあえず、女性は働くところがある。

学童保育もある。

こないだ、子ども二人連れたシングルの方、移住しましたよって言葉に、希望が見えました。

すると帰りに、「まずは住むところですね、淡路島に来るの交通費かかるから、不動産屋さん、寄って行ったほうがいいですよ」って、不動産屋さんの前でぽんっと車を降ろされました。

何の準備もないまま、緊張しながら不動産屋さんに入って、しどろもどろな私。

それでも、なんとか、何軒か物件を見せてもらうことができて、やっぱり、実際に足を運ぶことの大切さを痛感。

立地とか、家の感じ、もちろん家賃、自分は具体的にどんな暮らしがしたくて、何を優先させたいのか、百聞は一見にしかず。

ふつふつと移住への気持ちが固まっていきました。

やはり自分は、”お家サロンできることが最優先”ということで、本格的に物件探しを始めたものの、やはりなかなか、自宅サロンOKの物件がなくて。

物件ばかりは縁のものやからねえ、、、と色んな人が言うなか、もう4月までの引越しは無理かと思いかけた時、この物件と出会うことができました。

3月半ば。

お箸だけでなく、他にも餞別や励ましの言葉を頂いたお客様、今までお世話になったサロン、セラピストの先輩や仲間、ヨガクラスに来て頂いた皆様、近くで、遠くで、支えてくれた家族や友達。

「このお家、今日から住みたい」

って言ってくれた娘。

移住への、最後の一歩が踏み出せたのは、私の強い意志でも、勇気でもなく、私以外の人の、温かい気持ちだった。

ありがとう。

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