家族行事の用意がめんどくさいのはなぜ?|やらなくちゃが生む苦しさ

とうとう12月。

この時期になると、よく聞くのが、

お正月、義理実家に行くのが憂鬱、

気を使うだけだし、連休の中でも一番つまらないなんても聞きます。

あるいは、子どもや孫が来るのは嬉しいけど、

ご飯いっぱい用意しないといけないし、むしろ仕事増えて全然休めないという声。

あるいはクリスマスや、お歳暮、お年賀など、贈り物の用意が面倒、、、などなど。

みなさん、それぞれの立場で、色々あるのだなあと思います。

で、そういえば、こないだの娘の誕生日に、

私が思ったことと、通じるのかもしれないと思って、

今日はそのことを綴りたいと思います。

こないだ、娘が15歳になりました。

みなさんは、どういうふうに、中学生の誕生日をお祝いするのでしょう。

うちは、娘の食べたいものを用意して、ささやかながら、お部屋を飾って、

ケーキを食べて、プレゼントを渡すという感じです。

最近はお友達を呼んで誕生日会というのも聞かないし、

だいたいこんな感じですよね。

で、この全ての用意が、

なんというか、、、

自分に余裕がないと、

”めんどくさいなあ“

って思うことがあって。

そう思っている自分にも、最低だなあなんて思うのです。

なぜ、自分の娘の誕生日なのに、ルンルンで用意できないのかな。

ウキウキで、メニューやデコレーションを考えたり、

プレゼントを選んだりできないのかな。

ため息まじりにある朝考えたら、

ふと、思い出すことがありました。

フランスに住んで初めてのクリスマス。

前夫から「クリスマスは親戚が集まって、大きなパーティをするんだ、

父側と母側、2日間にわたってね」と、喜々として伝えられました。

なるほど日本のお正月やな。

ちなみにフランスはクリスマスは家族と、

年越しは友達や恋人と過ごします。

クリスマスといえば、プレゼント、私は「んじゃ、プレゼント交換とかするの?」と聞くと、

「んー、まあ、大人だけ。俺はもらうだけ」

と答えました。

え???大人だけて。

あなたも大人やん。

お世話になってるし、みんなにプレゼントしようよって、彼の家族にプレゼントを用意することにしました。

その時私は、クリスマスに彩られた街を回って、

お世話になっている人にプレゼントを選ぶ、

なんて楽しくて、素敵な時間なんだろうって思いました。

それぞれの人を思い描きながら、これがいいかな、あれがいいかななんて迷うのも、

限られた予算だったとしてもウキウキしたのを覚えています。

その後、私は妊娠、出産を経て、赤ちゃんを育てながらの、フランスでの2回目のクリスマス。

その時私は、産後の体調不良が続いていて、

クリスマスも、

「ああノエル(クリスマス)や、プレゼント、15個くらい用意せなあかんやん、なんなんやろうこの文化」

「プレゼント交換したあとに日本のメルカリみたいなサイトでみんな出品しまくってるし、

みんな意味ないの知ってるくせに、みんな面倒って思ってるのに、毎年毎年なぜ続ける?」

と、悪態をついていました。

まだ離乳もしてない娘がいるとスムーズに買い物できないので、

うまくいかない搾乳で、少しだけの母乳を哺乳瓶に詰め、

娘を前夫のご両親に預け、産後間もないボロボロの体を引きずって、

プレゼントを探しに行く。

なんなんだこれは。

もう、ノエル、嫌だ、、、

って、相当病んでました。

私、産後めちゃくちゃ調子悪くて(だからアロマと出会ったのですが)、心身ともにボロボロだったからもなのですが、

やっぱり、

“やらなくちゃ”って、

“義務”

になると、ストレスを感じる。

で、思ったんです。

例えば義務って、家賃払うとか、交通ルールとか、

やらなくちゃ家に住めなくなるとか、事故にあってしまう、

それをしないと本当に自分が困ったり、

危険が身に及ぶような”やらないといけないこと”

以外の

贈り物をするとか、お返しするとか、

孫の顔見せるとか、孫の面倒を見るとか、

習い事とか勉強とか、

残業とか早出とか、

“やらなくちゃ”って思ってることって、

実はやらなくてもよくて、

ではなぜ”やらなくちゃ”って思ってるかというと、

それをやらないことで、

相手やまわりから嫌われたり、失礼だと思われたり、

自分にネガティブな印象を抱いてほしくない、

それは、つまり、

相手に好かれたい、ちゃんとした人だと思われたい、

自分にポジティブな印象を抱いてほしい、

ということではないのかな。

私の場合、もし誕生日ケーキがなかったり(さすがにそれはないか)、

料理が手抜きだったりしたら、

娘が自分の母親は、自分のことを愛していないって思ってしまうのではないか、

そんなふうには思われたくない、

私はあなたのことを大切に思ってるってわかってほしいって、

だから”やらなくちゃ”

って、勝手に義務になってしまっているのではないのかな、

なんて思ったんです。

その”やらなくちゃ”って、

自分が勝手につくってしまった、自分のポジションの”枠組み”みたいなもので、

前にも少し自分のポジションについて書いたけど(こちら→「カラダに魂が宿るのか、魂にカラダが宿るのか」 悟と傑、呪術廻戦があついです

母はこうあるべきで、子どももこういう母親を欲しているだろうとか、

仕事とはこうあるべきとか、家族とはこうあるべきとか、

40代はこうあるべきとか、

上司は、部下はこうあるべきとか、

子どもは、女は、男はこうあるべきとか、

人とはこうあるべきだ、みたいに、

勝手に一人で自分にいくつもいくつも固い、

窓の”枠組み”みたいなものをつくって、

その窓からでしか、世界を見ないようになっていたのかもしれない。

枠組みが、年月とともに固く固くなってしまったのかもしれない。

って思ったとき、

はっとして、

自分の枠組みみたいのが、ガラガラと、崩れたような気がして。

なんでそんな、ガチガチに固めてたんだろうって。

日々は、”やらなくちゃ”いけないことが、山積みです。

洗濯したくないから、洗濯しなければ、着る服がなくなります。

料理めんどくさいから、コンビニ食や外食続けると、病気になります。

運動だるいからってダラダラしてると、骨も筋肉も弱くなります。

仕事したくないって、働かなければ、生きていけない。

そう、日々は”やらなくちゃいけない”ことがたくさんあります。

でもそれは、快適に生活するため、

より良く生きるため、

自分のためのはず。

たがらそこに、固い枠組みをはめ込まなくていい。

もっと、

やったほうが気持ち良く暮らせるからとか、

やりたいって気持ちを大切にすればいいんだと思いました。

ほんとね、バックパッカーしてるときって、宿代払うくらいしか、やらないといけないことなんてなくて、

have to ではなく、want to なんよなあ、なんて思ってたのに。

なんて思いながら、娘が小さかった時の写真を眺める。

自然と涙がでてきて、

大きくなったなあ

って思う。

大きくなって嬉しい、あの日から、15年も経ったなんてすごい、

無理せず、自分が今できるお祝いをすればいいんだって、

素直に、ただこの気持ちを伝えたらいいんだって思いました。

娘がどう思うかは、

気にしない。

自分の気持ちが大切。

忙しいって、心を亡くすって書くのですよね。

自分の心がなくなっちゃうから、

相手からみた自分、

まわりから見た自分にあわせて、

枠組みをつくってしまう。

枠組みがあなたの義務となり、

“やらなくちゃ”がストレスに感じる。

もっと、自分の気持ちを大切にする。

自分の気持ちを優先させる。

すると、”義務”って、”ストレス”って思ってたことが、

あれ?もしかしたら、私がやりたくてやってたのかも?なんて思ったりすることもあるんですよね。

ヨーロッパの美しいクリスマスの風景、

クリスマス市、立ち並ぶおしゃれなお店、

湯気をたてるホットワイン、

見た目も美しいチョコレート、

アーティスティックな雑貨やアクセサリー、

1年の終わり、家族や大切な人を思う気持ちが溢れる、

石畳。

本物のモミの木の香り、

その下を埋め尽くすように山積みにされたプレゼント。

一人増えた家族に、前年より15個ほど増えたプレゼント。

そこには、なんの義務もストレスもなかった。

あの時私は、産後で体調あまりよくないからと一言言って、

全員同じプレンゼントを用意することもできた(なんならインターネットで買うこともできた)のに、

しんどかったら、パーティを欠席してもよかったのに、

それは失礼かもしれないと、

それはちゃんとした嫁ではないと、

ガチガチの枠組みで、よく見られようとして、

無理して、

そんな義務もストレスもない、幸せいっぱいのノエルを、楽しむことができなかったなあ

なんて10年以上も前のことを思いながら、

娘の誕生日の準備に、とりかかりました。

枠組みを外して。

忙しいって、体だけじゃなくて、頭の中や、心も忙しくなってしまうから。

心をなくしてしまわないように、自分の気持ち、大切にしてくださいね。

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