うちにはテレビがありません。
と言うと、だいたい驚かれます。
テレビ、苦手で、、、と言うと、まあまあ変人扱い、
面倒臭い人扱いか、稀にすごい!さすが!って言ってくれる方もいます。
テレビが苦手になってかれこれ20年以上経つ私も、
子どもの頃は、めちゃくちゃテレビっ子で、テレビ大好きでした。
それが、旅に出るとテレビを見る機会がなくなり、
テレビがない生活なんて考えられないって思ってた自分が、
テレビなくても平気なんやなあと思うようになりました。
そのうち20歳を過ぎて本を読むようになり、その面白さに愕然となり、
なぜ今まで本を読まなかったのか、
自分が過ごしてきた時間がもったいなかったように感じました。
そんなある時、
テレビは時間泥棒、
ある国では白痴箱って言うそうだ、と、
友達が言ったか、何かで読みました。
自分の人生で、結構時間を費やしてきたテレビ。
そのテレビに関して感じてたことが、はっきりと言葉にされて、
私にぐさっと刺さったことを今でも覚えています。
そっか!テレビって、笑わせてくれるし、泣かせてくれるし、怒らせてくれるし、楽しくさせてくれるし、興奮させてくれるし、感動させてくれる、
自分で何かしなくても、画面越しに、色んな情報や、気持ち、擬似的な体験を与えてくれる。
確かに良い番組もあるけれど、
だいたいその番組だけじゃなくて、その前後もだらだら見ちゃう。
だってテレビは、私をテレビから離さないように番組を作っているし、(気なるところをCM前に隠したり、3、2、1、とカウントダウン入れたり、やたら目のひくタイトルをつけたり)
その合間には、ショートムービーさながらの素敵なCMに、私の欲望が掻き立てられ目が離せず、
テレビを見ているつもりが、
いつの間にか、テレビにテレビを見させられている状態やんか!
何も考えなくていいし、
何も行動しなくても良いから、ラク。
受動的ってラク。
そのうち、何も自分で考えなくなって、、、
なるほど、白痴になる箱。
そして、あっという間に感じるテレビを見ている時間、
例えば、1日2時間テレビを見ているとして、
365日に換算すると、730時間テレビを見ていることになり、
730時間は、まるまる1ヶ月24時間、
テレビを見ていることになる。
その1ヶ月、違うことに時間を使ったら?
例えばその2時間、英語勉強したら、
あるいは、ただ英語を聞くだけでも、
結構英語、話せるようになりそうやんか!
テレビの時間泥棒!
って、そんなことに気づいてから、
テレビを見なくなりました。
テレビは見ないので、たくさんの本を読むことができたし、
ギターも弾けるようになりました。
語学の勉強もしたし、ヨガを始めてからは、ヨガの勉強もするし、
何より、
自分が何をしたいか、
とか、
どうしたいか、
とか、
ゆっくり、しっかり考えるようになったと思います。
能動的に自分から行動して、
生身で体験、経験を重ねることが人生だ!
テレビ“なんか”見てるから、
自分が本当にしたいことも考えず、
分からんくなってしまうねん!
なんて憤ってた若き日。
そんなある日、山小屋で働いていた私は、
標高2700メートル、星降る夜の山小屋で、一人、
ぼーっとテレビを見ているおじさんを見かけました。
すかさず先輩に、
「山小屋まで来てテレビ見るなんて、もったいないですよね〜」
って分かったふうに話す私に先輩が、
「うーん、でも、
“下界では、ゆっくりテレビ見る暇もないんだよね“
って言ってたお客さんがいたんだよね」
、、、。
なぜか、私は何も答えることができなかった。
それから何年も経って、私は離婚して、実家に帰りました。
実家には6畳の居間にはどう考えてもバランスの悪い、
大きすぎる42インチのテレビが、どーんって置いてあって。
テレビなしの生活を続けてきた私には、
その光や音の刺激が強過ぎて、
煩わしく感じられました。
けれど、口を開けば愚痴しか出てこない私、
ずっとずっと、
何故自分がこんな目に合わなくちゃいけないのか、
と打ちひしがれる私を、
テレビから偶然流れるドキュメンタリー番組が勇気づけてくれたり、
芸人さんがプロの技術で笑わせてくれたり、
ヨガすらできなくなっていた自分に、“何も考えない時間“って時間を与えてくれました。
その時、どうしてみんながテレビを見るのか、
あの時、どうしておじさんが山小屋でテレビを見てたのか、
なんとなく分かった気がしました。
私達の生活はとても忙しくて、
いつも何かと考えたり、
必要のないことまで迷ったり、
悩んだりしていて、
頭も心もいっぱいいっぱい。
テレビを見るって、ある意味、瞑想状態というか、
テレビだけに集中するから、
一旦頭の中が空っぽになるんですよね。
これはもちろん、読書でも映画、音楽鑑賞、ゲームやスポーツでも起こりうるのだけど(もちろんヨガでも)、
テレビって手軽で、視覚、聴覚ともに使うし、
ジャンルも多いし、テンポも早いから、より刺激的なんですよね。
だからこそ、ずっとテレビから離れられない。
テレビを見て、気分転換、
頭と心の休憩になればいいのですが、
テレビ見ながら何か別のことを考えたり、
何かしたり、
必要のない情報が入り過ぎて、余計に頭も心も忙しくなったり、
自分のしたいこと、
した方がいいことの時間を削ってしまったりするなら、
本末転倒だと思うのです。
これはスマホにも言えると思います。
(と、言いながらテレビはなくてもついついスマホ見ている自分がいます)
ただテレビは、スポンサーがあって、
スポンサーの都合のいいように番組が作られていることは、
理解しておかなければいけないと思います。
昔ありましたよね、
何かの食品の在庫を捌くために、とある番組でその食品を、根拠もなく体に良いと、激推ししてしまっていたこと。
コーヒーメーカーがスポンサーについてる番組で、
コーヒーの悪口は言えないわけです。(私は時々飲む、美味しいコーヒー好きですが)
物は使いようと言いますか、
火は火事にもなるし、私達に温かい料理や、
灯りを与えることもできます。
火も、テレビもスマホも、
いいことに使うなら助けとなってくれるでしょう。
けれど、もし自分や周りを苦しめてしまうなら、ほどほどに、
あるいは、コントロールしないといけない。
特にこのコロナ禍の3年、私は思うのです。
もしテレビが、スマホがなければ、どうだったろうって。
って、そんなこと誰にも分からない。
そんな私は、スマホ見すぎるので、
夜9時半にはアラームを鳴らして、
それ以降はスマホ見ないようにしています。
コントロールできない自分を、
スマホにコントロールしてもらってます。
テレビもスマホも、
うまく自分が使えるならいいけれど、
画面を見ることで、心がざわついたり、
不安になったり、
本当はしっかりと考えたり、やった方がいいことがあるのに、
そこから避けるために画面の前にいるのだったら、
もったいないなって思います。
って、画面越しに今、このブログ読んでくれているのですよね。
ありがとうございます。
あなたの時間泥棒になっていませんように。