「カラダに魂が宿るのか、魂にカラダが宿るのか」 悟と傑、呪術廻戦があついです

うだるように暑かった今年の夏。

ここはタイだったのかな?

と、錯覚しそうになることもありましたが、なんとか夏も終わり、秋になりましたね。

前回、うちにテレビがないこと(うちにテレビがない理由)を書いたのですが、

さらにその前に書いたように、コロナ禍で、すっかりアニメにはまった私。

どうやってアニメを見てるのかと言いますと、Amazonプライムビデオなどの、動画配信サービスを利用しています。

はじめは、ブログ(コロナ給付金の使い道)にしたように、コロナの給付金で買ったi padを使っていたのですが、

推しを大画面で見たい!と、娘にせがまれ、プロジェクターを購入し、今はプロジェクターで大画面を楽しんでいます。

ちなみに、プロジェクター、すごいオススメです。

うちは、インターネットは内蔵されてない、やっっっすいプロジェクターを使っていますが、全然問題なく使えていますし、

何より、画面が大きいし、直接光を見ないので、目に優しい。

見たいものだけ見るので、テレビみたいに、ダラダラ見ることがないところ、

テレビみたいにリモコンポチッではなく、接続に手間がかかるのも気に入ってます。

(YouTubeは、一つ見ると次々見たそうな動画が出てくるので、注意が必要ですが)

で、動画配信サービスのすごいところが、木曜日の夜に地上波テレビで放送された番組が、その後すぐに、配信されるんです!

木曜日、

そう、この夏のアニメといえば、

それはもう、

呪術廻戦

ですよね。

ジョジョの次は、呪術廻戦です。

これまた呪術廻戦の話をしますが、特に、この夏放送されていた、懐玉・玉折編が、涙涙なんです。

中学生以上は、いや、むしろ大人の方が、胸が苦しくなるのではと思います。

そもそも呪術廻戦は、”呪霊”と言われる、化け物と戦う(呪霊を祓う)話なのですが、

この”呪霊”というのが、人のネガティブな感情が具現化したもの、という設定なんですね。

だから学校とか病院とか、人のネガティブな感情や思い出がつもるところには、呪霊がでやすいと。

全国各地で起こる事件や事故、災害なども、

ネガティブなエネルギーが溜まりに溜まって生まれた呪霊が原因、という設定。

なんか、あながち間違ってないというか、もはや、そうなのではないかと思ってしまいます。

“呪力”や、”呪霊”のように、生命エネルギー、”気”みたいなものが、目に見えたなら、

ヨガだって、日常生活だって、本当に大切なものを見落とすことはないのかもしれない、

大変なことになるまで、不調を放っておいたりしないのかもしれない、

なんて思ったり、

いやいや、そんなもの見えたら、余計大変やん、

あなたが好きと口で言いつつ、負のオーラが見えてしまうと、世の中パニックで、

心の声聞こえるのと一緒やんか、無理無理、

いやいやいやいや、私達は実際聞いてないふりして、結構心の声、聞こえてるやん、

空気読むとか、そーゆーことでないの?

それって、”呪力”感じてるってことじゃない?

なんて思いながら、見てる呪術廻戦。

(ここからは、アニメ呪術廻戦最新話までのネタバレを含みます)

で今回、渋谷事変で!!!

ああ!!!

あああああ!!!

悟は、

呪術廻戦0であの時、

傑を、、、

あやめていたんですね。

もう、話題の脳パカシーンで私は、涙で崩れ落ちました。

悟は、親友の傑を、あやめることができなかったんだって、ずっと思ってたし、

傑に、、、

生きていて欲しかったから。

私、玉折、5回くらい見たんですね。

もうほとんど自動的に再生ボタン押すように、何回も見て、

はじめは自分でも、なんでこんなにも何回も見たくなるのかわからなかったけど、

何回目かで、そうか、私は傑と似た気持ちがあるのかもしれないって気づきました。

私の、言葉にできない気持ちを、傑は表現しているのかもしれないって思ったんです。

傑は、とても優しくて、真面目で、

呪術師としてどうあるべきか、真剣に向き合い、

呪術師たるものとは、非術師、弱い者を守るために存在するって断言するような人で。

だからこそ、そこに生じる虚しさ、

弱い者を守るために払われる犠牲や、

その犠牲に気づかずに、負の感情を生み出し、

呪霊を生み出し続けながら、のうのうと生きている弱者に対する嫌悪感に耐えきれず、

嫌悪感を抱く自分にも耐えきれず、

極端な道を選んでしまった。

それはまるで私が、

母親たるもの、

とか、

ヨガ講師たるもの、

こうでなきゃって、こうあるべきだって、

色々努力したり、我慢したり、

母親なのに、ご飯作るのがしんどいなんて母親失格かもとか、

ヨガ講師なのに更年期っぽいとか全然整ってないやんとか、

自分を責めたりして、

それでも母親だからって、

ヨガを伝えさせてもらってるのだからって、頑張っても、

子育てが思うようにいかなかったり、

自分の伝えたいことがクラスで伝わってるのか、

これを伝えてクラスに来てくれた方が、良いことを聞いたってなるのかな、意味あるのかな、とか、

自信がなくなって、

時にしんどくなるのに少しだけ似てる気がして。

私は傑みたいに、優しくないし、真面目じゃないから、

猿め、、、って思うほど、自分を追い込んだりしないし、

ご飯作れない時もあるよね、今日はお惣菜!の日もあるし、

ヨガしても、ホルモン乱れる時もある、ヒマラヤの洞窟に籠ってるわけでないしって、

自分を甘やかしたり、

そんな私を受け入れてくれる、まわりの人に助けられてるので、

傑みたいに、壊れることはなかったけれど。

でも、だから傑の気持ちが痛いくらい突き刺さって、

あなたは優しすぎたから、

真面目すぎたから、

だから壊れてしまったのよね。

生きて、癒やされてほしかったよ。

すぐるーーー!って、しばらく落ち込んでました。

で、傑とは対照的に描かれる、悟の覚醒。

覚醒してからの悟が、甚爾と対峙した時の、悟のセリフと描写は、

もう、ヨガでいうところの、サマーディー。

一種の悟りですよね。

そもそも名前がもう、悟やし。

りこちゃんを殺した者への怒りもなく、

ただ心地良い

と言う悟。

だから、悟は迷わず、傑をあやめることができたんだって、改めて理解しました。

それでも、二人が親友で、お互いが最強だったから(本当は最強は悟一人だったから)起きてしまった出来事に、

壊れてしまった(あんなにキラキラしてた)青春の日々に、胸が痛むのです。

傑と、悟。

みんな悟に憧れて、悟のようであったならって思うけど、

どんなに修行しても、お釈迦様のような存在が現れるのは、それこそ何百年に一人で、

頭では、悟のように、自分のポジションなんて関係なく、

思うまま、

軽やかに生きて、

好きなことを、好きなようにできるくらいの強さ(才能や、財力、高い知能や健康、美しさなどなど)があったなら、

って思うけど、

私を含めて、ほとんどの人は、右往左往しながら、

自分のポジションに縛られて、

呪霊生み出すくらいの存在なのではないかと思うのです。

でも、

悟は言います。

天上天下唯我独尊

この広い宇宙で我々一人一人が尊いのだと。

一人一人が尊い使命をもって、人間として生まれて来たんだよと。

(もしかしたら、五条悟が最強って意味も含ませてるかもだけど)

この、お釈迦様が生まれた時に話したとされる言葉(7歩、歩いた後に指を指してなどの行動にも、たくさん意味があるそうですが)には、続きがあるそうで、

三界皆苦 吾当安此

この苦しみだらけの世界で 私が安らぎを与えるでしょう

苦しみだらけの世界で、特級術師という強さを持ちながら、救われなかった傑。

特級術師だったから、安らげなかった傑。

今、物語はさらに進んで、

カラダに魂が宿るのか、魂にカラダが宿るのか、

そんなのは、一人一人の世界で違うのか、

死体を奪われてしまった傑のカラダにわずかに残る、彼の魂、という描写。

甚爾に至っては、カラダが魂を凌駕してしまったし。

さらに面白い展開になっております。

この”魂とカラダ”、”魂と肉体”というのは、

ちょうどこの間、「チャクラを感じながらヨガしてみよう」という特別クラスを開催した時に、

パンチャコーシャと言って、ヨガでは、カラダを5つの鞘、

そして3つの体でできてると考えていて、

それには、目に見えないカラダがありますって話をしたところで、

なんてシンクロ!と、一人盛り上がっております。

芥見先生がどのように”魂とカラダ”について描くのか、興味津々、

ますます目が離せない呪術廻戦!

特に2期は音楽も、かっこいいんですよね。

戦闘シーンで流れるのがジャズだったり、

悟の覚醒や、りこちゃんとの沖縄でのシーンで流れる美しいピアノの調べ、

音楽と映像の美しさや、声優さんの素晴らしい演技も、アニメを総合芸術たらしめる要因ですよね。

もちろん、全ては原作があってですが。

呪霊生まないように、良いエネルギーを循環させたいなと思う今日この頃。(って反転術式?人、治せるやん、いや、正のエネルギーやから、術式反転になるのかな?あ、でも術式使われへんし)

来週も楽しみです!

娘の受験が終わったら、コミックス買います!

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