最近降った、久しぶりの雨。
秋の冷たい雨ですね。
雨の朝、私はなんとなく気持ちがもやっと、ざわっとします。
“あー、送って欲しいのやろうなあ”
そう、娘の学校です。
今、娘は中学生で、学校まで自転車、片道40分くらいかけて通っています。
中にはもっと遠い子どももいるようで、雨の日は、9割くらいの子どもは車で送迎してもらってるそうです。
2年前、入学早々に雨が降った日。
私は甘たり前のように、カッパを着た娘を、「雨やから気をつけて、いってらっしゃーい」と、見送りました。
夕方、学校から帰ってきた娘が、えらく怒って言いました。
「自転車で来てる子なんて、誰もいてなかった!
私と、あと2〜3人だけやった!」
「車で送ってよ!」
うーーーん。
そう言われてもなあ。
私、中学校徒歩20分やったけど、どんな雨でも、荷物重くても、送ってもらったことなんてないし、
高校は自転車で今のあなたと同じくらいの遠さやったけど、
送ってもらったことなんてないし、
なんやったら雨の中、ギター背負ってチャリ乗って学校行ってたしたなあ。
なんというか、学生時代のそういう経験って、自分の底力になるような気がするしなあ。
頭に浮かぶのは、小学生の時の朝の一コマ。
私は近所の女の子と一緒に学校に行っていたのですが、
ある日の朝、その女の子が誘ってもなかなか出てこず、
待っていたら、けっこう遅くなっちゃって、
やっと女の子が出てきたと思ったら、その子のお母さんも出てきて、
「ごめんね遅くなって、車で送るわ」
と、言われました。
“やったー!車、楽ちん”
と、心の中でほくそ笑む私に、
うちの家の窓がガラガラって勢いよく開いて、
「車???大丈夫!走ったら間にあうから、走っていき!!!」
と、うちの母が叫んだのでした。
えーそんな、せっかくの車、、、という私の気持ちを応援するように、
女の子のお母さんが
「いや、でもうちの子が遅かったから、」
と言いかけて、
うちの母が遮るように、
「そんなん次からも遅れたら車で行けばいいやってなるし、
まだ間に合うから、走っていき!!!!!」
母の勢いに負け、
私達は小学校までダッシュしたのでした。
まあ、遅刻と雨とは、また違うと思うのですが、
根底にあるのは、子どもに辛い思いをさせたくないということですよね。
それは親の優しさなのかな。
それとも、甘えさせてしまってるのかな。
忘れ物を届けるのもそうですよね。
雨に濡れるのはかわいそうだし、(危険とか、風邪ひくのが心配とかもあるかもだけど)、
忘れ物して、先生に怒られたり、教室で恥ずかしい思いするのはかわいそうだし、(それで忘れ物届けたこと私もあります)
遅刻は半分親の責任?みたいなところもあるし。
でも私は、子どもから失敗する経験や、そこから何かを学ぶ機会を奪っているような気がして。
遅刻して、
忘れ物して、
先生に怒られて、
恥ずかしい思いをするから、
もうしないでおこうって思うのではないかと。
大人になって、
遅刻が続いたり、忘れ物が続くことは、職を失うことを意味します。
ずっと車で生活するなら別だけど、
電車やバスで通勤するとなれば、雨だろうが雪だろうが、
駅直結のマンションにでも住まない限り、
悪天候の中、自転車こいだり、歩いたりしないといけない。
仕事行きたくないなあって日に、
土砂降りの雨が降る時もある。
こんなに降って、警報でてるから、仕事休みにしてよって思っても、よっぽどじゃない限り、仕事は休みにならない。
学生時代に、学校行きたくないな、雨嫌だなって、辛い思いが重なっても、
自分の足で学校に行くってことを積み重ねた日々は、
きっと大人になって、ちょっとやそっとではへこたれない、
強さのもとになるのではないかと思うのです。
でも、私はこうも思います。
そんな根性みたいの、必要?
雨降ってるから、送り迎えするって、自然なことじゃない?
困ってる人に手を貸すってことを、当たり前にしてるだけじゃない?
だから大人になっても、困ってる人を助けることが、自然に、当たり前にできるようになるんじゃない?
自分が優しくされたから、他人にも優しくできるのでは?
自分に厳しくしてきたから、他人にも厳しくなるのでは?
その狭間で思い悩み、
今まで何度か、雨の日の車について、娘と言い合いになりました。
で、私は、基本我が家は、送迎しません。
あまりに悪天候で今日は自転車無理かなと思う日は、私から送迎すると言うから、
それ以外の雨の日は、
“7000円”のカッパをぜひ活用して、
普通に学校行って下さい
ということになりました。
でも、天候って微妙だったりするんですよね。
小雨でもないけど、バケツひっくり返すまででもない。
先日の朝がまさにそんな感じの雨の日で、
私は卑怯にも、
「送ってほしかったら言って」
って娘に言ったんです。
そしたら娘は、
「 いいよ、自分で行くよ」ってカッパを着ました。
さすが私の子、強い子、と思ったけど、
めちゃくちゃふてくされてる。
「え?なに?その感じ?感じ悪いで」
と言う私に、
「そんなん、送って欲しいに決まってるやん。誰が雨の日に自転車こぎたいんよ!
けど、送ってって言ったら、ママキレるやん!」
「まー、今日は私から言ったし、キレはせんけど、
自分で行って欲しいとは思ってる。
けど、いいよ、送ってくよ」
という私に、
「いいよ!自分で行くよ!」
と、走り去る娘。
そして、雨がジャージャー激しく降り出しました。
娘に選ばせるのは、卑怯やったよね。
私は娘を追いかけ、その日は車で学校まで送りました。
学校に着くと、
けっこう自転車で来てる子もおるやないかい!
てっきり雨の日は、2〜3人しか自転車で来ないのかと思ってわ!
という私を横目に、
「ありがとう、いってきまーす」
さらっと車を出る娘。
まあ、ほとんどの子は、車で来てましたけどね。
けど、やっぱり強い子に育ってほしいな。
強くて優しい人に、
なんて、
親の勝手な希望ですよね。
こないだ、トリリンガルだったのに日本語以外を拒否した娘の夢 | 思春期×高校受験で
娘を一人の人間として尊重したいなんて言ってるのに、
娘に希望を押し付けて、
本当はただ、自分が強くて優しい人になりたいのかな。
雨にも風にも負けないで、
自分の足で目的地に向かえる強さと、
雨に濡れる人には、傘をさしだせる優しさ、
両方に私が憧れているだけなのかもしれません。
子育てには、正解がないから親も思い悩み、
それが優しさなのか、甘えさせてしまってるのか、
トライアンドエラーを繰り返すのが子育てなのかな、
なんて思った、
秋の雨の日。