シングルマザーは恋愛してもいいのか|京都の痛ましい事件に思う

 

世間を注目させた、京都の男の子の事件。

 

男の子をあやめたのは、義父であったと。

 

こういうニュースが流れるたびに、ひとり親として、世にいうシングルマザーとして深いため息が出ます。

 

義父、義母、あるいは親の交際相手。

 

子どもにとっては、誰が考えても、複雑な気持ちになる存在です。

 

私はステップファミリーとなり、とても幸せに暮らしている人達を知っています。(という話をすると、私の娘は幸せそうに見えても、そこの子どもが本当はどう思ってるかなんて分からないやん、と言いますが)

 

父である、母である前に、一人の人間で、一人の人間としての幸せが大切だということもすごくわかるし、私自身そうあるべきだと思います。

 

だから、一概にステップファミリーや、お付き合いをしているひとり親を悪く言うつもりは毛頭ありませんが、同じひとり親として、私が思うことを綴ろうと思います。

 

私もシングルマザーですが、私自身は、前夫と別れたての頃は生きていくのに必死で、恋愛なんて入り込む余裕がなかったし、

娘の前で罵り合うような喧嘩を何度もして別れているので、

もうこれ以上娘の小さな心を傷つけたくなかった、

これ以上不安定にさせたくなかったので、誰かと付き合うなんて考えることもなかったです。

 

そこから時が経ち、

娘の思春期が過ぎた頃、彼女が修学旅行に行ったりした時にふと、

一人の食卓で、彼女が巣立つとこうして毎日一人でご飯食べるのかって思った時、

ブラフマチャリ(ヨガの教えの一つで、様々な解釈がありますが、ここでは独身を貫くという意味で)で生きていくって思ってたけど、なんか寂しいかもって思う自分に驚きました。

娘が高校入った時くらいでしょうか。

 

もしかして、パートナーとかいてもいいのだろうか。

 

 

でも、私にはどうしても消えない自分が高校生だった時の記憶があって。

 

私が高校生の時、仲のいいグループに一人、クールな雰囲気を纏ったオシャレな子がいました。

吸うタバコはハイライト、みんなで飲みに行ったりした時、2、3万するお会計をさらっと払って、払っといたから割り勘なーってさらっと言う子で、

 

30年前ね、もう時効ですよね、高校生で、ですよ。

 

そんな彼女がある時教室で、ぽつりと呟くように話したことがあって。

 

 

おかんが彼氏を家に連れてくるねんなー

私の居場所がなくなるから、それはやめてって言ってるんやけど、、、

 

その時の彼女の表情や空気、強くて大人でかっこいいと思ってた彼女の

 

脆くて、壊れそうな声音が

 

30年経った今でも忘れられなくて。

 

 

今でも彼女と交流があるわけでもないのに、自分がシングルマザーになるなんて思ってもみなかったのに、

どうしてこの教室のワンシーンを、こんなに覚えているのかわからないけど、

 

 

これが、ほとんどの子どもの気持ちなんだと思う。

 

 

自分の居場所の喪失。

土台や安全地帯、避難所のような存在が誰かに取られるような感覚。

それが引き起こす、怒りや悲しみ、不安定な心。

 

大人になったって、人は不安定で、寂しくて、だから誰かといようとするのに(それがバーチャルな存在やオンラインでの繋がりであっても)、どこかに自分の安心する場所を探すのに、

子供なんてなおさら不安定で、不安で、どこをどうやって歩いていくべきか

迷ったり、悩んだりして、

 

それでも前に進むには、後ろを振り向いた時に自分を愛してくれている人が見守ってくれているから、進めるのであって。

 

振り向いた時に誰もいないとか、

自分を見てくれていないとか、

自分以外の人や物事ばかり見ているとか、

 

その時の疎外感や孤独感に、子どもは傷つく。

傷ついたまま、年齢だけ重ねていく。

 

 

小さい子どもって

見て!って言いますよね。

何回も何回も。

 

私の娘は3歳くらいまでフランスで育ちましたが、やっぱり

Regarde!

 

見て!

 

って何回も言いました。

 

万国共通、人は自分を見て欲しいのだと思います。

誰かに、できるなら自分を大切に思ってくれている人に見ていてほしい。

 

見てもらえずに年齢だけ重ねると、それが承認欲求の塊となったりするのだと思います。

いいねを気にするだけならいいけど、ストーカーになってしまったり、

 

最悪今回のように、行き過ぎた自分だけを見てほしいという気持ちは、

激しい嫉妬や執着をうみ、自分以外の対象を排除しようとしてしまう。

 

 

親って、木の上に立って“見る“って書きますよね。

子どもをつくるということは、

親になるということであり、

親は、子どもを見とかないとダメなんです。

木の上くらいの距離感で。

 

 

って、こんな偉そうなこと言って、私は、うまく自分の子どもを見ることができているわけではありません。

子どもが話しかけてもスマホ見たりして、馬の耳に念仏という言葉を覚えた娘に、

もう!!!うぅまぁ!

 

って何度も言われましたし。

 

 

子どもの話そっちのけでスマホ見る親。

親の話そっちのけでスマホ見る子ども。

 

子を殺める親。

親を殺める子ども。

 

 

ちょっと飛躍しすぎでしょうか。

スマホが悪いっていうわけでは決して無いけれど、

子どもと来てる公園でスマホしか見ていない親御さんとか、

学校の式典とか、発表会でスマホ操作(写真とか動画の操作でなく)される方とか見かけると、せめて、今くらいは子どものこと見ようよって思います。

 

 

いつか子どもは、

誰も見ていなくても前に進まないといけないときがやってくるし、

後ろを振り返らなくなったり、振り返っても、そこに親の姿を求めなくなったり、

 

孤独や寂しさを受け入れて、自分自身で自分の安心できる居場所、

物理的にも、精神的な意味も含めての居場所を築いていきます。

 

 

傷ついたり、もがいたりしながら。

 

 

子どもがその居場所を自分で築けた時が、ひとり親が恋愛しても、子どもがスムーズに受けいれることができるタイミングなのかな、なんて思います。

 

それはやっぱり、子どもを見ていないとわからないことで、

ちゃんと木の上からって感じで、子どものこと、見守りたいなって思います。

 

だから、木の上ってこのあたり?、もう少し上?もう少し下?なんて悩みながら、

しっかりと愛をもって、その子どもを見ている人は、

その子にとっての親で、血の繋がりは関係ないと思います。

 

 

私は昔、今でいうバックパッカーってやつで、長旅してたんですけど、

長旅すると、長旅してる友達ができやすかったりして、

長旅する人って、本気のカメラでない限り、

写真を撮るのは、ダサいと言ったりします。

 

それは、“今、ここ“を楽しまずに、記録をとろうとするから。

記録よりも、全身全霊で今、この一瞬一瞬を生きることがかっこいいから。

 

そんな友達が昔言いました。

 

一眼レフより、僕には自分の二眼レフがあるからって。

 

 

あなたの二眼レフには、何が映っているのでしょうか。

 

 

管理人トゥルシ

ヨガ・アロマ・タイ古式マッサージ、癒しサロンTulsiのあきこです。
バックパッカーとして世界を歩きインドでヨガ5年、国際結婚→離婚後、シングルマザーとして淡路島で小さな暮らしを営んでいます。
一杯の、読むハーブティー。
日々のヨガ的気づきや、心と体をやさしく整えるヒントをゆるりと綴っています。

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