
この記事は子どもが学校行きたくないって言った時①の続きです。
今の子は、小学校高学年で、拗らせ始めます。
(小学生の不登校は10年前の5倍だとか)
だから、もう少し早く、小学生で凶悪な犯罪や、自死を選ぶことが少ないように、
少し拗らせた時点で、働くことを教えることができたらと思うのです。
あなたが着ている服、食べている物、暑さから、寒さから守ってくれる家は、空から降ってきません。
働いて、手に入るものなのです。
もちろん、お金持ちの子もいるでしょう。
あなたよりもっと辛い環境で日々を過ごす子もいるでしょう。
世の中は、不平等と理不尽で埋め尽くされています。
そんな世の中に、そして自分というあやふやな存在に、不安になり、怒り、何かにぶつけたくなったり、うずくまることもあるでしょう。
でも、お腹空くでしょう。
トイレを使うでしょう。
お布団で眠りたいでしょう。
だから、働くのですってって言っても、
中学生くらいになると、だからもう、それすらどうでもいいってなる子がいるから。
生きることを手放せばいいと思い、本当に行動に移す子が出てくるから。
まだ少し元気が残っている時に、働く経験をすると、きっとそれは強い土台となって、その子を支えると思うのです。
もうすぐ18歳になる娘も、あの時パパのところで働いて良かったと言っています。
私は自分の子どもが家庭への不満や、学校への不満を言った時、
自分がどれだけ恵まれているかを想像してほしいって思うし、言ってしまいます。
前にフカフカの椅子の上で思ったことでもありますが、
私はどうしても、
インドや東南アジアで出会った物乞いの子どもを忘れることができないです。
裸足で小さな子が、さらに小さな子を抱っこして、物乞いをするインドの子ども、
「お姉さん2個1ドル」って言葉を繰り返して、ずっとずっとお土産を売るために後をついてくるカンボジアの子どもとか、
物乞いになるために手足を切られる子ども、
失明させられる子ども、
本当にゴミ捨て場をさまよう子ども、
誰かに殴られて、頭から血を流す物乞いの子どもの破れたシャツ、
「マダム、パニ、、、」(奥さん、水を、、、)
と差し出される細い折れそうな手、
汚れてひび割れてガサガサで分厚くなった灼熱のコンクリートの上を歩く足、
学校に行けない子ども。
学校に行く自由、行かない自由があるってすごく恵まれていると思わない?と娘に問うても、
そんなこと言われても、私は日本で生きてるし、環境が違いすぎて、ピンとこないと娘には言われます。
その通りなんです。
その通りなんだけど。
せめて、
今、あなたがぬくぬくと家で過ごせるのは、誰かの労力と時間のおかげだということを理解しないと、
働かなくても、誰かが衣食住を提供してくれると勘違いしたまま大人になってしまうし、
やっぱり体験にまさる理解はないから。
便利で、豊かなようで、すっかりややこしくなった世の中、
溢れかえる情報、余りある選択肢に戸惑い、
自由に見えて不自由な空気感に
違和感を感じるのは、実は子どもなんだと思います。
だから、シンプルに働くということを通して、生きることを肌で感じる。
家事でもいいですよね。
流れない水は腐るし、一旦止まった水を流すには時間もパワーもいります。
なので、流れが悪くなりはじめた時、
子どもさんがじっとしてしまわないよう、とにかく動くように、工夫できたらと思います。
でもね、不登校を経験して、大きくなってから活躍する人もいます。
ダムが決壊するように、個性を発揮するかもしれません。
永遠に同じところにとどまる水はないから。

コメント