
あっという間に7月で、2026年の上半期も終わってしまいましたね。
6月は夏至があり、夏至は国際ヨガデーだったりします。
コロナの時に夏至のマインドフルネスヨガをリモートでさせて頂いてから、もう6年も経ったのですね。
ヨガは、マットの上だけでするものではなく、生活そのもの、食生活を整えることも含まれているのですよというお話を時々させて頂くのですが、
こないだ、
You are what you eat
あなたはあなたの食べた物でできている
という言葉を紹介しまして、この言葉はヨガにも通じており、
今回はずっとお話したかった、私がベジタリアンになった理由と、ベジタリアンを辞めた理由を綴りたいと思います。
ヨガといえばベジタリアン、菜食主義という印象はあまりないかもしれませんが、
本来、ヨガの教えはベジタリアン、菜食を推奨しており、インドではもちろん、海外でもヨガを実践している方は菜食の方が多いです。
それはヨガの教えである、アヒムサ、不殺生・非暴力の教えを実践するためで、
必要以上に命を奪わないでおきましょう、傷つけないでおきましょうということ。
そして、食べ物を食べるということは、ただ単に栄養を摂取するということでなく、
プラーナ、気を取り込むということなので、
優しい環境で育てられ、優しい気持ちを込めて調理されたものには、優しさのプラーナ、気が宿っているので、そういう食べ物を食べましょうという教えからです。
ということは、逆もまた然りということでもあります。
私も25歳でヨガを始めてから、約10年弱、ベジタリアンで、
私の場合、卵と乳製品は食べますが、肉、魚、出汁に至るまで、いっさい口にしませんでした。
(ちなみに卵も乳製品も食べないことをヴィーガンと言います)
なぜ、菜食を選んだのか?
これは本当に菜食時代、よく聞かれたことでした。
不殺生とか、プラーナ、気、とか言ってもひかれるだけなので、
まず私は身体的な理由を答えました。
野菜の消化時間は1〜2時間だけど、お肉は長いと6時間くらいかかり、胃腸に留まる時間が長く、負担になるからと。
腸が消化だけに忙しいとホルモンとか免疫作る時間なくなるからと。(ヨガ流、冬に溜まった心とカラダの毒を梅流しでスッキリ①|なぜ断食·腸洗浄?でお腹について書いてます)
でも、理由は決してそれだけではなく、
私は逆にあなたに問いたいと思っていました。
あなたは牛や豚、鶏を殺めることができますか?と。
ヨガに出会う前、私はただインドを旅していて、とあるインドの田舎町のとある日本人宿(日本人ばかりが集まる宿)に滞在していました。
時はクリスマス。
みんなでクリスマスパーティーしようということになり、
みんなで鍋を食べよう、
つみれ鍋にしよう、
薄いチャパティの生地作れば、水餃子も作れるね、
ということになりました。
じゃあ材料は揃えてあげるから、調理はみんなでしてねということで、宿の方が食材を揃えてくれました。
食材きたよー、キッチンに来てー
はーい
とキッチンへ入ると、
ネギや人参などの野菜の横に、くったりとよこたわる、鶏。
鶏肉ではなく、羽の生えたままの鶏の死体。
えっ
、、、、、
つみれって、ここから???
衝撃で固まる私に、これからバイクでパキスタンまで行こうとしている、いかにも旅慣れた猛者みたいな人が手慣れた感じで、水餃子の皮にする小麦粉を練りながら、
鶏をつみれにしてーと、さも当たり前に言いました。
え、え、え、
これを???
まだ体温の残っている絞めたての鶏を前に、触ることすらできず、うろたえる私に、
できないのー?
じゃあ食べたらだめだよ
と猛者は言いました。
私はその言葉に、すごくすごく納得しました。
ほんとその通りですよね。
殺めることもできず、羽をむしることすらできないのに、
その命を貪るなんて、なんて自分は傲慢なんだと思いました。
結局、羽だけは猛者がむしってくれて、そこからは私が鶏を解体して、ミンチにして、水餃子の餡と、つみれができて、傲慢な私は美味しい鍋を頂きました。(私が水餃子の皮を担当しても良かったのでは?と少し思いましたよ)
こんなこともありました。
その次の年のクリスマス。
私はまたインド、とある南インドの田舎町で自炊をしながら滞在していました。
クリスマスだからチキンを食べようということになり、チキンを買いに行きました。
時折、道で見かける“broiler“の文字と鶏の絵、
これは鶏肉屋さんてことなんだろうと思っており、クリスマスの日に訪れると、
いらっしゃい、チキン?うん、チキン売ってるよ、
どれにする?
どれにする、、、?とは?
と、通された裏庭。
20羽くらいの鶏が放し飼いされていました。
んで、どれにする?
コケッ コケッ バサバサバサ
鳴きながら走り回る鶏
一緒に買いに行った友人も私も、一瞬固まってしまって、戸惑っていると、
んじゃこれね、
と1羽の鶏をひょいと掴み、
ドラム缶の上に寝かせ、
なたで頭をガンっと一撃。
がくりと首の折れた鶏を手に、
羽は?どうする?
と聞かれ、
羽、むしってください!!!!!
とお願いしました。
はい、◯◯ルピー(多分50ルピーもしなかったような記憶です、当時で100円ちょっとくらいかな?)
と、嘴も目もついたまま、血が滴る鶏を無造作に入れた黒いビニール袋を手渡されました。
確かその鶏を唐揚げっぽくして食べたように思います。
とにかく大切に骨までしゃぶるように、小さな小さな肉片まで大切に大切に頂きました。
皆さんもご存知のように、私達の命は、他の動植物の命を頂いて成り立っています。
何日か食べなくても生きてはいけますが、ずっと食べないと餓死します。
でも、そんなにあれもこれも、色々食べなくても、生きていけますよね。
あなたは鶏の羽、むしることができますか?って聞きはしないけど、
私はトマトをもぎ取ることはできるけど、牛は殺せないからって、
なぜ菜食なの?って聞かれたら、答えるようにしていました。
トマトは種を植えればまた芽を出すけれど、肉や魚は一度死んでしまうと、そこで終わりだからと。
今は違うかもしれないけど、当時インドでは宗教上の理由から、牛肉、豚肉はどこに行っても食べることはできませんでした。(牛肉はキリスト教徒の多いゴア州だけ、知る人ぞ知るってとこだけで売ってはいましたが)
聖都と呼ばれる幾つかの街では、卵も食べることができないので、
自然と菜食よりの生活になったこともあり、ヨガを本格的に学ぼうと思った時には、ごく自然にベジタリアンになっていました。
特に不調もなく、むしろ体調はよくて、ベジタリアンになって5年後、
妊娠、出産、子育てへとライフステージが変わっても自分の体は健康だと思ってましたが、
その後離婚し、実家へ帰り、しばらくして私は菜食を辞めた時、
ああ、本当は産後、私の体は栄養不足で悲鳴をあげていたんだなと理解することになったのです。
娘は4歳になっていました。


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